納骨の多様化

昔であれば、散骨というのは、あまり良くないものとして捉えられていた節があるわけですが、現代では、立派な一つの散骨方法として考えられており、納骨堂や外に建てるお墓などと並んで、十分に納骨の手段として考えられているということは、確実に上げられるかもしれません。しかし、海や山などに散骨をしてしまうと、その人の息子や孫などといった下の世代などの人が、ほとんど交流することができなくなってしまうということは、大変悲しいことでもありますし、海を見て亡くなった人を思い出すという意味では、プラスの面があるのかもしれませんが、一つだけでも納骨堂のようにここに行けば亡くなった人になんとなく会うことができるというような、場所を作っておくことは今後の家族社会の希薄化を止める意味でも、重要であるということは確実に言えるかもしれませんし、一つ一つの家族の思いを受け止める場所が納骨堂であるというケースは、今後も一層増えていく可能性があるということを知っておくと良いのかもしれません。現代的な納骨堂では、参拝をするたびに、倉庫から遺骨がベルトコンベアに乗って運ばれてくる、というようなスタイルをとっているところもあり、これに対して、反感を持っている人は、非常に多いというふうに聞いたことがあるような気がします。確かに、骨をものとして扱っている点において、このような形式というのは、あまり褒められたものではないのかもしれませんが、実際のところ骨ではなく亡くなった人の思いに会いに来ているという視点から、例えば、このようなケースは、合理的であるというふうに考えられなくもないのではないでしょうか。

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